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2012年 04月 21日
ザバンドのドラマー、レヴォン・ヘルムが亡くなった。 レヴォン・ヘルムは歌うドラマー。 解散コンサート「ラストワルツ」の素晴らし過ぎる映像のリンクを。(Up On A Cripple Creak) 彼は71歳。 僕の好きなミュージシャンの多くは60歳以上だし、これからは、こういうニュースが多くなるだろうな。 さて、今週も土曜日はフリー。 ふらりと独りで絵を見に行ってきた。 セザンヌにも行きたいのだが、国立新美術館は去年のシュールレアリズム展のときの混んでいるイメージがあり、何となく腰が重い。 で、代わりに日本橋は三井美術館の葛飾北斎展に行ってきた。(三井美術館の開催中の展示のリンクなので、そのうちデッドリンクになるか、違う内容が表示されるかもしれない) こちらは、ほとんど宣伝していないので、空いているだろうという読みが当たり、ゆっくり見ることができた。 前期と後期で展示を入れ替えるらしいけど、冨嶽三十六景の「凱風快晴」と「神奈川沖波裏」を見ることができたのはラッキー。 言うまでもなく素人なので、ポイントがずれているかもしれないけど、冨嶽三十六景を見ると不思議な感じがするよね。 「凱風快晴」とかがむしろ例外で、富士山そのものを大きく描いている絵は、ほとんどなく、人々や物に比べて小さく描いている。 もちろん存在感はあるんだけど。 それに、富士山の形は意外にいいかげんだと思った。 なだらかなシルエットもあれば、急角度過ぎるシルエットもある。 つまり、実際に目に見えているものだけを描いている訳じゃあないんだよな。 たぶん、全体の構図、描きたいイメージが最優先事項で、それを活かすように、人や物や富士山を描いているんだろう。 主題の富士山すら描きたいように描いてしまうってのはスゴイな。 そういう意味だと、前に、九州に行ったとき、美しい夕陽が沈む間際を撮るのに、夕陽そのものじゃなくて、夕陽を眺める人から撮ったけど、これは全体の出来はともかく、発想は北斎的と言えるかもしれない。(平和公園の像を撮るのに、話を聞く高校生を入れたのも) いや、いくらなんでも自分を褒めすぎか。 まあ、今日はこんなところで。 また明日。 本日のBGM:Love Over Gold By Dire Straits 2012年 04月 17日
語呂だけで妙なタイトルを付けたけど、そんなに深い意味は無いです。 本当に文字通りの意味。 少し前に週末に走っていると書いたけど、ランニングはブームらしく、周りにも週末ランナーが結構いる。 フルマラソンを走るような上級者もいて、その人たちに、やっぱり大会に出ると気持ちが違うみたいな話をされて、少しづつその気になってきている。 教えてもらったランネットというサイトを見ていたら、千葉、東京辺りに限定しても、毎週のようにレースがある。 近い将来はハーフマラソンとして、とりあえず直近で10キロのロードレースを目指そう。 で、そんな話を家の中でしていたら、ちゃんとしたシューズを買ったらみたいな話になって、買いに行ったのが昨日のこと。 宇宙人のようなシューズと、派手に光るシューズは嫌だなと思っていたのだが、一緒に買いに行った人に「走っているときは多少派手でもおかしくない」と強引に押し切られ、「光る靴」を買ってしまった。 「宇宙人」は回避したけど。 (しかしランナーは派手なシューズやウェアでも許されるというのは、ライヴコンサートで、少しくらい派手な格好をしても許されるというようなものだろうか。派手な格好をしたことはないけど。) まあ見た目はともかく、早速、昨日の夕方走ったときは、非常に快調だった。 ナイキとかニューバランスも良いけど、やっぱりアシックスだな。 気候も良くなってきたし、光るシューズで快走だ。 本日BGM:Cuttin' Heads By John Mellencamp 2012年 04月 15日
それにしても、今年の桜はあっという間に咲いて、あっという間に散ってしまったような気がする。 もっと桜が満開になるを楽しみに待ったり、桜が咲いているのを眺めたり、桜が散るのを惜しんだりする期間があったと思うのだが。 全部が瞬く間に過ぎてしまった気がする。 本当に開花期間が短かったのだろうか、それとも、そう感じただけだろうか。 さて。 今週末は土曜日、すなわち今日の方がフリーで動き易い、例の絵でも見に行くかと思っていたが、生憎の雨で、雨だと何となく混んでいる気がしたので、来週に回すことにして、別の場所に行った。 大手町から千代田線、なんだ坂、こんだ坂、表参道の先、代々木上原。 目的地は、今週の讀賣新聞夕刊にも紹介されていたモスク=東京ジャーミイだ。 モスクとは、もちろんあのイスラム教の礼拝所のモスクのことで、ジャーミイってのは大きなモスクを指すらしい。 何故モスク? イスラム教に関心がある訳ではないけど(まあキリスト教にも仏教にも神道にも関心がないけど)、何となくイスラム建築や教会やお寺や神社には心惹かれるので。 その美しさと雰囲気に。 天体に興味はないがプラネタリウムに興味があるってのに似ているかもしれない(違うか)。 20年近く前にモルジブに行ったとき見学したマレ(首都)のモスクも雰囲気があったし、どうしても行きたくなったしまったんだ。 室内は荘厳な美しさがあったけど、撮影禁止だったので、外からのこの写真で雰囲気の一部は伝わるかな。 ![]() 1日何回かある礼拝は見学自由。 同じ見学者だと思っていた日本人が礼拝が始まったら祈り始めたのにはびっくりした。 日本人のイスラム教徒だって、もちろんいるだろうし、別に不思議なことではないんだけど、トルコ文化センターが隣接していることもあって、トルコの人が祈ることしか頭になかったんだ。 それに改めて気付いたけどモスクの中って像や絵のようなものが何も無いんだよな。 彼等は心の中の神様に祈っているんだろう。 礼拝の際の痺れるような生歌も聴けたし貴重な体験だったよ。 本日のBGM:John Wesly Harding By Bob Dylan 2012年 04月 09日
雑誌「ロッキンオン」を、おそらく20年ぶりくらいに購入した。 本屋でたまたま目に入って、表紙を見たら、スプリングスティーンの名前があったし、20年以上、(渋谷陽一風に言うと)コンテンポラリーな音楽を聴かなくなっている割には意外に知っている名前があったので、思わず購入してしまったんだ。 <rockin' on 5月号表紙> (一番大きく)ノエル・ギャラガー(もちろん知っている。オアシス解散後の活動は良く知らなかったが。) ブラー(聴いた事はないが名前は知っている) マドンナ(もちろん知っている。ライク・ア・ヴァージンとマテリアル・ガールくらいしか曲は知らないが) マリリン・マンソン(知らなかった) B・スプリングスティーン(もちろん知っている) ジャック・ホワイト(知らなかった) ザ・フー(もちろん知っている) モリッシー(もちろん知っている。そんなに詳しくはないが) レディオヘッド(名前を聞いたことはある) しかし見出しが(ノエル・ギャラガー答える、そして吠える)、(ザ・フー「トミー」を語る」)だよ。 若い人達なんか興味あるのかな。 僕が、「ロッキンオン」を毎月読んでいたのは、1980年くらいから1980年代後半で、初期の値段はたしか280円。 その当時もマイナー感はあったけど、その時以上に特殊な人達が読む本になっているような気がするな。 発行部数なんて当時と比べてどうなんだろう。 雑誌のクオリティは完全に当時より上だけど。 それに、なんと渋松対談も続いていて、そのテーマがスプリングスティーンの新譜だった。 渋谷は「自分たちが60で、その年齢のリアルが分かるから余計に凄さに圧倒されるな」だって。 二人の本があったなと思って家の中を探してみたら、4冊もあった。 渋谷陽一:ロックベスト・アルバム・セレクション、ロックは語れない(新潮文庫) 松村雄策:アビイ・ロードからの裏通り、苺畑の午前五時(ちくま文庫) 彼等のことは、好きでも嫌いでもないと思っていたが、そうでもないのかもしれない。 5年前に引越したときに相当数の本を処分したので、この4冊は選んで残したってことだ。 特に「苺畑の午前五時」はエッセイでも評論でもなく小説だけど、相当マイナーで、これを持ち続けている人は相当少ないんじゃないかと思うな。 今日、思わず読み返したけど、少年と少女と音楽と、泣きそうになるような美しい話だった。 本日のBGM:Don't Believe The Truth By Oasis 2012年 04月 08日
今日は、(R)@モスクワとふたりで(Y)さんのお墓参りに行ってきた。 花を取り替えて、線香を上げて、祈って、少し語ってから帰ってきた。 取り替えた花は枯れていたけど、干乾びた感じじゃなかったので、最近も誰かが訪ねたってことだ。 何というか、僕も忘れないようにしよう。 忘れようもないし忘れられないけど。 先週のプラネタリウムの話を。 行ったのは千葉科学館で、この写真は分かるかな。 23メートルもあるという、木星のようなドームがガラス越しに見える。 ![]() プログラムは「銀河鉄道の夜」で、星空の解説と宮澤賢治の世界の組み合わせ。 もちろん内容も素晴らしかったけど、それを伝えることはなかなか難しく、損はしないので見てくださいとしか言いようがないので、以前シュールレアリズム展について書いたときと同様に来場していた人について書こう。 鉄道マニアはノリテツ、トリテツ、ダイヤテツだけど、プラネタリウムに行くのも3種類の人がいるな。 テンプラ、プラプラ、ナンプラって感じか。(語感に注意して考えてみました) テンプラは天体が好き、あるいは天体の勉強をしたいと思っている人達。 春休みで親子連れで来ている人が多かったけど、学習しようとしている点で、このテンプラに分類されるでしょう。 プラプラは、プラネタリウムや、プラネタリウムのプログラムに興味がある人達。 実際の天体観測はしないがプラネタリウムは好きという人はいると思う。 独りで来ている人が何人かいて、今回の場合は宮澤賢治か、もっと特定して銀河鉄道の夜が好きな人もいたんじゃないかな。 最後のナンプラは、なんとなくプラネタリウムみたいな人達。 特にプラネタリウムに行く必然性はないけどロマンチックな感じを求めて来ましたみたいな若いカップルが何組かいた。 「探求と行動の象徴だ」とか言って、訳分からずに来た僕みたいな人も含まれるだろう。 でも、僕は別のプログラムも見ようと思っているので、次回はプラプラに昇格?だな。 さて。 ナンプラ、お墓参り、あとは絵を見に行くことだったな。 ささやかながらアクティブにならないとね。 そして旅行の計画を立てよう。 「慣れた場所を離れて動き回ること」が必要だからね。 本日のBGM:Arc Of A Diver By Steve Winwood 2012年 04月 06日
爆弾低気圧だか何だかで一昨日は派手に風の強い日だったけど、先週の土曜日もなかなか地味に風が強い一日だった。 その強い風の中、公約通り?プラネタリウムに行ってきた。 ドームの直径23メートルのプラネタリウムは迫力満天じゃなかった満点。 まあ、その話は改めて書くとして今日は別の話。 前の記事の象徴の話が、何故だか気に入ってしまったので、続きを。 ●鉄球は破壊と再生の象徴 鉄球と言えば、やっぱり「あさま山荘事件」を連想する。 今年は事件から40年らしく、先日、NHKでも特番みたいなものを放映していた。 報道と事件の関わり方みたいな切り口で、事件そのものを掘り下げた番組ではなかったけれど、やっぱり鉄球が山荘を打ち壊す映像は、すごいインパクトだった。 夢の中から現実に引っ張り出すような、幻想を破壊するような、そんな映像だったな。 建造物解体用の鉄球は英語でレッキング・ボール(Wrecking Ball)というらしい。 最近、何度も取り上げているブルース・スプリングスティーンのニューアルバムのタイトルでもある。 そのタイトル曲で、スプリングスティーンは厳しい時代がやって来ては過ぎ去っていくと繰り返して歌っている。 それは、同じ歌詞を繰り返して歌っているだけではなく、本当に、厳しい時代が何度もやって来ると言っているように聴こえる。(それはいつか終わるとも歌っているのだが) レッキング・ボール。 レッキング・ボールは、何かを終わらせる、そして新たな何かが始まる、その象徴だ。 ●プラネタリウムは探求と行動の象徴 博物館や美術館や映画館やコンサートホールや競技場は楽しいが、目的があまりに明確であるが故に象徴にはなりにくい。 プラネタリウムは少し違う気がする。 小中学生は星を勉強しに行くのだろうが、大人は星の勉強をしに行く訳ではない。 おそらくロマンチックに星空を眺めるためでもなく、良く分からない曖昧な目的のために行くのだ。 故に、プラネタリウムは象徴だ。 探求と行動の象徴だ。 ●風車は融和と孤立の象徴 オランダ風車は美しいが、より心魅かれるのは風力発電用の風車だ。 自然の風の力を活かすように設計された風車の多くは、広大な場所に建てられていて、夕陽や昼間の太陽の光や雲や、砂浜や森など周りの風景と意外なほど溶け合っているように見える。 しかし、その形状が未来的であるが故に、例えば地平線の彼方に風車が建っているのが見えたときには不思議な感じがする。 周りの風景から切り離されて孤立しているような印象を受けるんだ。 逆に本当に近付いて羽根が回る音を聴いたときも微妙な違和感を感じる。 自然の中に溶け込んでいたはずなのに、どうしても機械であることを意識してしまうような。 ある距離感のときに、風車は周りの風景と違和感なく溶け合うのだ。 加工前のモスクワの4thアルバム「Stand and Stride」のジャケット写真を。 場所は北海道・苫前町。 ![]() ある距離感とは、この距離感だ。 意外と長くなった。 今日はこの辺で。 お休みなさい。 本日のBGM:Hearts of Stone By Southside Johnny&The Asbury Jukes 2012年 03月 29日
ようやく暖かくなってきたね。 今年の冬(この言い方は正しいのか?)は、非常に寒かった気がする。 ついでに言うと、一昨年の夏は、異常に暑かった気がする。 実際のところは、どうなんだろう。 自分が寒さ/暑さに弱くなっただけかもしれない。 さて。 先日だが、家族から、(僕の)休日の過ごし方がシンプルだと言われてしまった。 ニュアンス的には、それで良いの?みたいな感じ。 余計なお世話だと思ったが、確かに寒くて何もする気がしなかったのも事実だし、ショックを受けたとか、そういう訳じゃないけど、小石を投げ込まれたかのように(「悪くはないさ」風)、少し気になった。 確かに、朝起きて、犬の散歩に行って、ジムに行くか外を走って、家で音楽を聴いて、本を読んでという本当にシンプルな過ごし方をしている。 無駄に過ごしている訳ではないけど、変わり映えしないというか、平凡というか、それは全く悪くはないんだけれど、まあ、アクティブでないことは確かだったんだ。 そんな(どんな?)ある日、暖かい朝日のあたる時間にTVでプラネタリウムが流行っているというニュースが流れていた。 そして、プラネタリウムか、昔とは比べ物にならないくらい進化しているんだろう、どこか探して行ってみるか、みたいな事を考えた。 これが、本日の記事の主題。 「ある暖かい日にプラネタリウムに行きたくなった」 何がなんだかさっぱり分からないと思うけど、暖かくなって、少しシンプル過ぎる休日の過ごし方を脱する気になりました、と。 シンプル過ぎると言われたから、少しアクティブになろう、みたいな気になりました、と。 手始めはプラネタリウムに行くことだ、と。 たかがプラネタリウム行くことのどこがアクティブなのか? いやいや、つまりね、プラネタリウムは象徴なのだよ。 鉄球が破壊と再生の象徴であるように、探求と行動の象徴なんだ。 そうだ、まだやることがあるぞ。 (Y)さんのお墓参りに行かなくては。 セザンヌ展にも行こう。 旅に行くのも良いかもしれない。 春だからな、動き出さなくては。 本日のBGM:The Most of The Animals By The Animals 2012年 03月 25日
先週の習志野署の対応の件や福島県のメール削除の件は、いかにも日本的な出来事だね。 なんというか、悲しくなる。 さて。 最近はブルース・スプリングスティーンのニューアルバム「レッキング・ボール」を繰り返し聴いていた。 各曲が個性的で、1回きちんと聴けばすぐに曲名を覚えられるところが良い。 かと言って、寄せ集め的な感じは全くなく、しっかりと流れがある。 「歴史的名盤」は大袈裟だったけど、素晴らしいアルバムだ。 そのニューアルバムに伴うツアーもアメリカで始まっているみたいだけど、昨年死去した名物サックス奏者クラレンス・クレモンズの代わりは甥のジェイク・クレモンズという人が努めているようだ。 ジェイク・クレモンズの経歴は知らないけど、おそらくスタジアムクラスどころか、アリーナクラスでの演奏経験も無いんじゃないだろうか。 ツアーの前に、アポロシアターで特別ライヴがあって、その隠し撮り映像がyoutubeなんかにアップされているけど、サックスソロが過去の経緯から感動的な一方で、演奏自体は少し微妙な感じもする。 これから馴染んで、どんどん良くなっていくような気はするけど。 そんな映像を観ながら、ブルース・スプリングスティーンの歌詞に出てくる「Blood Brothers」という言葉を思いだした。 「Blood Brothers」は日本語訳では「血を分けた兄弟」となっていることが多いけど、「学校の授業より3分間のレコードから多くの事を学んだ」というフレーズが印象的なロック・アンセム「No Surrender」(1984年)の歌詞に出てくるし、タイトルそのものずばり「Blood Brothers」(1995年)なんて曲もある。 スプリングスティーンは、この言葉にバンドメンバーを重ねているようだ。 毎晩ライヴ演奏を続ける仲間は血を分けた兄弟。 理解できる気はする。 Blood Brothers。 少し脱線するけど、この原点は1977年頃だろうと思う。 最近買ったボックスセットにその頃の様子が映像化されていたのだが、以前のマネージャとの訴訟問題などもあり、ニューアルバムが出せない状況で、彼等は練習スタジオで相当音楽漬けの日々を過ごしたようだ。 その時に、その後30年以上続くベースが出来たのだと思う。(途中10年間くらいバンドが「お休み」の期間はあるけど) その後、新しいメンバーも加わったが、1977年のメンバーは、クラレンス・クレモンズ、そしてやはり2007年に死去したダニー・フェデリチを除いて全員未だ健在だ。 Blood Brothers。 血を分けた兄弟。 信頼出来る人間と一緒に演奏する。 その発想が今回のジェイク・クレモンズの抜擢に繋がっているし、音楽的には必要が無い(失礼)奥さんのパティ・スキャルファがバンドに残っていることも、そういうことなんだろう。 更に、前のツアーでは、バンドの要であるマックス・ウェインバーグ(ドラムス)が、どうしても参加できない状況になったとき、ヘルプをマックスの二十歳そこそこの息子が努めたなんてこともあったようだ。 (あまり意味の無い仮定だが)自分ならどうかな。 ①クラレンスの後釜をジェイクに頼むか? ②パティをメンバーとして残すか? ③マックスの代役として息子を立てるか? どれとは言わないことにするけど、ひとつだけ明らかにNOがあるな。 本日のBGM:Wrecking Ball By Bruce Springsteen 2012年 03月 18日
昨日の記事は、ほぼ同じ内容を、ブログスタイルに移行する前の昔の「ロシ愛」に書いていた。 2003年3月だから、9年前か。 9年経っても、あんまり変わっていないってことと、書いたことを完全に記憶してなかったのは、ある意味衝撃的だな。 昨日の記事の方が少しわかりやすいかもしれないが。 過去ログは辿るのが難しそうなので、全文載せておこう。 ************** 我語る、故に我....... 中島らもの呪術をテーマにした小説「ガダラの豚」の中でアフリカの呪術師がこんなセリフをいうシーンがある。 呪術なんて単なるコトバでしょ?と言われたとか、そんな感じの状況。 それは君達の常識だとか、何とか言った後に、 「単なるコトバ?コトバがすべてじゃないか。」 これは非常に大雑把に言うと「物事には何通りの捕らえ方がある。その捕らえ方がすべてだ。」って事だと思う。 これに近い事をもっと判りやすいコトバで教えてくれたのは、思想家の野村秋介だった。 彼は、所謂右翼で、のちにマスコミに抗議するかなんかして自殺するのだが、10年以上前かな、その位には、TVの深夜の討論番組に、たまに出ていた。 桝添要一とか出てたやつね。 俺は右翼でも左翼でも中道でも無い、ただの「路傍の地蔵」で、彼の事は好きでも嫌いでも無いけど、そのコトバだけは心の中に染み込んできた。 「真実はね、多面的なんだよ。事実はもちろんひとつだけど、真実は多面的なんだ。」 なんのテーマでの討論とかどんな状況とかは、もう覚えていない。 何か若者に語りかけていたイメージは覚えているけど。 真実は多面的であると理解する事。 その中で自分の立つ位置を決める事。 そして自分のコトバで語る事。 そこからすべては始まるんじゃないだろうか。 これを前段にタイムリーな話題に行こうと思ったのだが、何か書く気が無くなった。 というか、これ以外に語る事なんて何も無い。 一言だけ、少し宣伝。 モスクワの「勇者」は、10年以上前に作った曲だけど、こんな時代、こんな世の中にぴったりだと思うなあ。 跳ねたリズムに力強いギターリフ。 荘厳?なギターフレーズと「勇者」を執拗に繰り返すボーカルが絡むエンディング。 ♪♪勇者、勇者 ♪♪相対的な真実は ♪♪勇者、勇者 ♪♪ガラスのように燃え尽きて..... 是非、聴いてみて下さい。(H) 2003年03月20日 00時40分37秒 ************** で、過去ログを読んでいたときに、こんな記述を発見した。 ************** ・今年の始めには決して想像出来なかった意外な事。 何故か犬と一緒に暮らす事になった事。 オスのヨークシャテリア。 僕は犬が嫌いだし、動物を過剰に可愛がる人が理解出来ない淋しい人間ですが、何とかうまくやっています。 2004年01月03日 23時12分52秒 ************** この「今年」というのは2003年のことだから、犬を飼い始めてからも9年経ったことになる。 9年。 長い付き合いだ。 今日は、こちらの関係でも「ある意味衝撃的な出来事」があったので、ちょっとだけ犬の話。 さて。 犬の散歩は基本的に朝夕だけど、いつからか土日の朝は、僕の仕事になってしまった。 今日も午前中は降っていなかったので、連れていったけど、やっぱり悲しい習性がある。 オスの犬とすれ違うと、必ず吠え掛かるんだ。 動物的な本能だと思うけど、どんな大きな犬にでも吠える。 小型犬が大型犬に吠えるってのは、すこし滑稽だよね。 それに、少し離れてオス犬を発見すると、伏せた状態になって、相手を油断させるという裏技を使うことがある。 油断させておいて、すれ違う瞬間に急に吠えるんだ。 いや、悲しくも姑息だ。 この「裏技」を使うのは、うちの犬だけかと思っていたけど、衝撃的なことに別のヨークシャーテリアが同じことをやっているのを見てしまった。 もしかするとヨークシャーテリア全般がやる行為なのだろうか。 うちの犬だけってのも少し悲しいけど、ヨークシャーテリア全般ってのもかなり悲しいかもしれない。 本日のBGM:Devils&Dust By Bruce Springsteen それでは最後に本日の「テツ君」を。 ![]() 2012年 03月 17日
そういえば吉本ばななは吉本隆明の娘だったんだな。 知識としては知っているけど、頭の中で何となく結び付かない。 なんでだろう。 まあ、いいか。 さて。 ここはどういうブログですか? ブルース・スプリングスティーンファンのブログではなく、ロックバンド・モスクワの裏サイトです。 ということで、今日は最終的には「宣伝」に持っていこうと思っているんだけど、どう切り出そうかな。 えーと、突然ですが、座右の銘はありますか? そんなこと聞かれる機会も、あんまり無いだろうけど、例えば「人事を尽くして天命を待つ」です、とか澱みなくなく答えられたらそれは美しいだろうと思う。 ちゃんとした格言の形は取っていないところが微妙だし、勝手な解釈しているだけの可能もあるだが、僕にも意識している言葉はある。 もしかすると、昔、何かに書いたかもしれないけど、それは野村秋介がTVの討論番組かなにかで若者に語りかけた言葉だ。 今から20年以上前のことを記憶だけで書いているんで、補正が掛かっている可能性があるけど、彼はこんな事を言った。 「真実は、ね、相対的で多面的なんだよ。事実はひとつだけど」 野村秋介は、1993年に自殺した右翼活動家で、その思想も活動も詳しくは知らないし、興味も無いが、この言葉は非常に印象に残っている。 事実はひとつだが、真実は相対的。 どのように受け止めるかがすべてで、説明するようなものでもないが、「事実」という言葉は「現象」、「真実」というのは「物の見方、見え方」というのが近いと思う。 この短い言葉は非常に多くのことを語っている気がする。 自分の頭で考えて自分の考えを持つことが大事だとも言っているようにも思えるし、ひとつの物の見方に囚われてはいけないと言っているのかもしれない。 異なる他人の意見を尊重する必要があると言っているようにも思えるし、そもそも他人と考え方が違って当たり前だということだけを言っているのかもしれない。 うん。 忘れられない言葉だ。 さて、宣伝。 そんな貴方の心の奥の相対的な真実もガラスのように燃えつきてしまうことがあると歌った名曲「勇者」はモスクワのファースト・アルバム「路傍の地蔵」に収録されています。 聴いてみたい方は、表(おもて)からではなく、こちらから。 遠くシリアで起こっていることを頭の片隅において聴いてみてください。 座右の銘はありますか? 事実はひとつだが、真実は相対的ということを意識しています。 あんまり美しくないか。 本日のBGM:Together Through Life By Bob Dylan |
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